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宇佐神宮と御許山でのヴィジョンと竹下氏の解説

6月7日、香椎宮を参拝した後、大分県宇佐市の宇佐神宮へ友人の車で行ってきました。


その時に見たヴィジョンの絵を竹下雅敏氏の解説とともに、ご紹介させていただきます。



灰色の背景の文字は、私が書いた文章です。
    イラストの下部にある黄色(肌色)の背景の文字は、竹下雅敏氏による解説です。






まず宇佐神宮と御許山について

宇佐神宮は、全国に数多くある八幡社の総本宮で、壮大な敷地の中にあります。



    (神橋  ここを渡って宇佐神宮境内に入ります。)



宇佐神宮が建てられる以前、ここ宇佐の地には、比売(ひめ)大神の信仰がありました。

宇佐神宮は、御許山(おもとやま)という山の麓に位置しています。


日本書紀によると、神代の頃、宇佐嶋(御許山山頂)に、比売大神(宗像三女神である多岐津姫命、

市杵嶋姫命、多紀理姫命)がご降臨されたとあります。


山頂には三つの巨石があり、これを比売大神の顕現として祀ったのが初めで、現在も

宇佐神宮の奥宮として、大元(おおもと)(=御許:おもと)神社が祀られています。

                                   wikipedia宇佐神宮の項より



                                  (宇佐鳥居(八幡鳥居))






宇佐神宮HPによると、


「欽明天皇32年(571年)二月初卯の日、大神比義(おおがのひぎ、性別不詳、霊能力者、中央から

宇佐に派遣された?)が見に行くと、宇佐神宮境内の菱形(ひしがた)池のかたわらの笹の上に、

光かがやく三才の童子があらわれ、

『われは誉田の天皇広幡八幡麿(すめらみことひろはたのやはたまろ)なり』と告げられました。

そしてたちまち黄金の鷹になって、駅館(やっかん)川の松の上にとどまったと言われます。

この松のとどまったところに鷹居社(たかいしゃ)をつくり八幡様をお祀りしました。

のち、神亀2年(725年)現在の社地に移されて八幡大神様が鎮座されたのが

宇佐神宮の創立です」とあります。


八幡神が祀られた6年後の731年(天平3年)に神託により、二之御殿が造立され、比売大神を

お祀りしました。さらに、823年(弘仁14年)に神託により、三之御殿が建立され、応神天皇の御母、

神功皇后をお祀りしています。




                             宇佐神宮の建物はどれも壮麗

                                   (写真撮影:上の3枚は全て富士子さん)
 



  

宇佐神宮でのヴィジョン

①宇佐八幡宮の上宮を参拝した後、回廊に座って瞑想をしたときに
 最初に現れた男神様。 彫の深いくっきりしたお顔の若い男神様でした。


応神天皇と宮主宅媛の子の菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)様です。








②次に現れた女神様。お若いかわいらしい女神様でした。


この方は、応神天皇と宮主宅媛の子の雌鳥皇女(めとりのひめみこ)様です。






上の宮を参拝した後、回廊でヴィジョンの絵を描きました。
回廊の途中に窓があり、そこから御許山(おもとやま)がきれいに見えていました。



                               (回廊から見えた御許山
                                  撮影:富士子さん)






その時、突然、御許山の山頂へ行かなければいけない気がして、

私たち(女性三人)は車で向かうことになりました。

神社の方に行き方を教えてもらったのですが、車一台通るのがやっとの舗装していない細い山道を、

40分かけて8合目まで登るとのこと。途中での離合はできない危険な道なので、地元のタクシーを

使った方がいいと言われました。


その日の夜、北九州空港から羽田へ帰る飛行機を予約してあったので、18時半までに空港へ

行かなければいけないのですが、その時すでに15時近く。時間的に無理だろうと思い、

私たちはとりあえず登山道の入り口まで行き、そこで山を拝して帰るつもりで出発しました。



宇佐神宮から車で10分も走らないうちに、御許山へ登る道にはつきましたが、

運転をしてくれた友人は、車を停める気配もなく、そのまま山道に入っていきました。



道はどんどん険しくなり、彼女の車が4WDでなければ本当に大変なことになっていたかもしれません。

しかし、山道を登っている途中で、私には突然、山頂のお社の前で祈っている私たち3人の姿が

ヴィジョンとして見え、同時に参拝が終わる時間として、「16:00」の数字が見えました。

さらに、空港に着く時間として「18:30」の文字が見えたので、これで大丈夫と安心しました。



大変な思いをしてようやく8合目の少し開けた場所(駐車場?)にたどり着き、車を降りると、

まるで上から引っ張られるように、足がどんどん前に進み、山道を山頂まで駆け上がっていきました。




山頂に着くと開けた広場があり、一角に「大元神社」の拝殿がありました。





大元神社の拝殿は、建物を通して、その奥にある奥宮を拝む形になっています。この奥宮はいにしえの時代、比売大神がご降臨された場所で、今でも3つの巨石があるのだと思います。ご禁足地として、この鳥居の先には入れません。







③大元神社の拝殿から奥宮を参拝していた時に見えた男神様。頭に羽をつけた若い方で、黄土色のお着物をお召しでした。


この方は、応神天皇と高城入姫命の子の額田大中彦皇子(ぬかたおおなかひこのおうじ)様です。






敷地の一角に、奥宮とは別の鳥居が立っていました。
鳥居の横に、「大元八坂神社」の看板がありました。



その鳥居をくぐると、両側を木に囲まれた参道が伸びていて、

この世界とは思えない幻想的な雰囲気が漂っていました。



                                      (撮影:富士子さん)





そこへ一歩足を踏み入れて、奥の方に見えている小さな神社を目指して歩き出したのですが、

歩いているうちにどんどん涙が溢れてきました。

奥にある神社やその前の参道の両側に、白い着物を着たたくさんの男女がいて、皆んな

喜びにむせび泣いていらっしゃっる御姿が見えていたからです。

私には、なぜ泣いていらっしゃるのかがわかり、感情が昂り、涙がこみ上げてきたのです。






神社の前まで来ると、実際には手を合わせてそこで祈っていましたが、

心では、両手を広げていました。広げた両腕でそこに居た方たちを抱きしめていました。

私の両腕にすがるように、そこにいた女性たちが泣いていました。歓喜に泣いていたのです。

私も喜びと懐かしさで泣いていました。もちろんここに来たのは初めてです。




せれなさんの手をとって泣いていたこれらの女性は神霊です。
このヴィジョンはせんぶ洲の裏のアストラル界のホツマの界層に相当します。
実はせれなさんは神功皇后に仕える女官だったのです。
彼女たちはせれなさんの友人の女官たちで、せれなさんはここから地上に転生に入ったのです。







また必ず来ますと約束をして、参道を戻り、大元神社の境内を出て、時計をみました。
ちょうど16:00でした。




                                  (大元八坂神社側から鳥居を通して、大元神社を見る)



山を下りだした時、「無事に山を下れるようにお送りします」と言うメッセージが聞こえました。

駐車場に戻ると、一台の車が停まっていました。

私たちの後から、神社で御勤めをされていた方々が降りて来られました。

運転をしてくれた友人がその中の一人に、「後ろから降りて行きます」と声をかけると、

その車は、山道を先導するかのように前をゆっくり走ってくれました。

危険なところでは止まり、教えてくれ、ゆっくりゆっくり麓の県道までそうやって

降りてくださいましたので、私達は安心して山を下ることができました。


それから、北九州の空港へ向かったのですが、途中で30分ほど道に迷い苦労しましたが、

無事に空港へ着きました。車を停止させた時、時計を見ると18:30きっかりでした。

神に守られていることに心から感謝し、神の存在を一層身近に感じた幸せな一日でした。

長い記事を、最後まで御読みいただきありがとうございました。

機会があったら、壮麗な宇佐神宮に足を御運びください。

ただし、御許山に行かれる方は、地元のタクシーを使うのが安心です。
(運転に自信がある方は別ですが・・・、または歩きでも・・・^^)
                                     Serena

                                      
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