天橋立でのヴィジョン
- 2012/11/14
- 12:15
少し前のことになりますが、9月9日に、長男と長女と一緒に、京都府の天橋立(あまのはしだて)に日帰り小旅行をしてきました。
ウィキペディアによると
「天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6キロメートルある。湾口砂州とされる。日本では、外洋に面さない湾内の砂州としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。風土記(丹後国風土記逸文)では、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通うために梯子を作って立てため「天の橋立」といったが、大神が寝ている間に倒れて現在の姿になったとされる。」

南側からの眺望 - wikipediaより転載
旅のところどころで見えたヴィジョンに、竹下雅敏氏から解説をいただきましたので、掲載させていただきます。
『 』内の文字が竹下氏による解説です。
①天橋立(あまのはしだて)を南側から歩いて渡っていると、中程よりやや手前に天橋立神社がありましたので、参拝しました。
ここを守ってくださっている神様へお礼とご挨拶を申し上げたら、
男神様が現れました。
「私はここを守る者。本日は、ご参拝いただき誠にありがとうございます。道中、つつがなきようお守り致します。」とご丁寧な挨拶をいただきました。
『この方は、国之水分神(クニノミクマリノカミ)様です。』
②天橋立を渡って、対岸の籠(この)神社に参拝しました。
その時に、現れた女神様です。
『この方は、「籠神社」の御祭神である天之水分神(アメノミクマリノカミ)様です。』
籠神社拝殿の左側に、社が4つ並んでいました。
③その中の、左から2番目の猿田彦神社を参拝しました。
その時に現れた男神様
「せれな様、ようこそおいでくださいました。私はここを守る者です」
とご挨拶いただきました。
『猿田彦神社の御祭神である大世多大明神様です。この方は猿田彦神とは別の方です。』
④その右隣の春日社にも参拝しました。
女神様が現れました。
薄い透き通った生地(絽)の着物をお召しでした。
(この絵は下書きのままです。目が青いわけではありません。)
「せれな様、ご挨拶いただきありがとうございます」とのお言葉をいただきました。
『この方は巨勢姫明神(コセノヒメミョウジン)様です。春日大社の摂社榎本神社の御祭神は江戸時代に猿田彦神になったが、それ以前は巨勢姫明神が祀られていたということです。』
⑤一番左の真名井稲荷(まないいなり・・・上の写真の左端)を参拝したときに、ご夫婦の神様が現れて、こうおっしゃいました。
「本日は、私どもの祭りの日においでいただき嬉しき限りです。」
『左の男神は飯依比古(イイヨリヒコ)様、右側の女神は大宜都比売(オオゲツヒメ)様です。古事記のイザナギ・イザナミの国生みの記述で、四国という島については、讃岐は男性で飯依比古、阿波は女性で大宜都比売となっています。稲荷大社の一柱が大宜津比売様です。』
お祭り?と思いましたが、そこでは何も行われていません。
そういえば、籠神社の拝殿の中に人がいっぱい座っていたことを思い出し、拝殿に戻りました。
⑥私が拝殿の前に立つと、ちょうど太鼓が打ち鳴らされて、神事が始まりました。このようなタイミングの良さは度々起ります。
そこには、入りきれないほどの人が拝殿から溢れるように座っていました。何のお祭りかを確かめようと見渡すと、拝殿の端の柱に「真名井稲荷再建21年祭斎場」と貼ってありました。本当に真名井稲荷のお祭りで驚きました。
⑦その後、裏山にある、「真名井神社」に行きました。
その拝殿でご挨拶をすると、現れた女神様。
「せれな様、お会いできて嬉しく思います。遠い道のり、ありがとうございました。」とご挨拶をいただきました。
『真名井神社の御祭神の罔象女神(ミツハノメノカミ)様です。』
ヴィジョンは以上です。
帰りも、天橋立を歩いて戻りましたが、慣れないウォーキングサンダルを履いていたせいもあり、途中でこむら返りを起こしそうになりました。1時間に1本しかない特急電車の時間に合うようように急いで歩きすぎました。少し休んだらよくなりましたので、それからは、海を眺めたり松の木の形をたのんだりして、のんびり駅に向いました。特急電車にも乗って帰れました♬でも、脚に自信のある方以外は、せめて片道だけでも船を利用されることをおすすめします。
景色の綺麗な旅の写真を何枚か掲載しておきます。
以下、光の写真
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