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3月21日香椎宮でのヴィジョンと竹下雅敏氏による解説

3月20日から福岡の実家に滞在しています。
福岡に来た翌朝、香椎宮に参拝して来ました。
その時に見えたヴィジョンを、竹下雅敏氏の解説とともにご紹介します。

ヴィジョンのイラストの下の『 』内の言葉は、竹下氏による解説です。

*香椎宮の写真は、これまでに何度も掲載して来ましたが、今回またたくさん撮って来ましたので
 再度掲載させていただきます。

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香椎宮は祭日ではありましたが、小雨が降る寒い日だったせいか、参拝する人もごくわずかで
 静かですがすがしい気に包まれていました。






①拝殿で参拝した後、いつものように回廊に座って、目を閉じたら目の前に神功皇后様が
 現れてくださいました。
 この絵は確かにあまり似ていないかも知れませんが、雰囲気はこういう感じです。
 紺色のオーガンジーのふんわりしたワンピースをお召しでした。



『髪型と服装の感じはよくわかりますが、私もあまり似ていないと思います。』


 自分でも、あまりに似ていないと思ったので、描き直してみました。





②皇后様の前に、私(幽体)が深々と頭を下げて御挨拶をしていました。
 その傍らに2才くらいの小さな男の子がいて、私と一緒に皇后様に丁寧に挨拶をしていました。
 この子は私の子供だと思うのですが。




『確かにせれなさんのお子さんです。』



回廊の真正面、拝殿の左側に杏の木があります。



③その木の幹から、5才くらいの男の子がニコニコしながらこちらを覗いていました。
この子も私の息子だと思うのですが。




『その通りです。大体一カ月で1歳年をとるという感じになります。16歳になるとほとんど変化しなくなります。』

↑上の男の子が産まれたことは自覚がありましたが、下の男の子の誕生は全く気がつきませんでした



④その木と回廊の間を3人の若い女性たちが楽しそうに会話しながら横切って行きました。
 真ん中の女性は私に気がついて会釈をしてくださいました。




『この中央の女性は、11代垂仁天皇のお后であった狭穂姫(サホヒメ)様です。』

Wikipedia狭穂命をご参照ください。



その後、武内神社に行きました。


 
⑤そこで若い男性が現れました。




『この男性は8代孝元天皇と埴安姫の子であった埴安彦尊(ハニヤスヒコノミコト)様です。』





巻尾神社にはいつものように光が降り注いでいました。





⑥そこで切れ長の瞳の美しい女神様が現れました。




『この女性は6代大物主 櫛甕玉命(クシミカタマノミコト)の孫にあたる健飯勝命(イイカツノミコト)様のお后であった沙麻奈姫(サマナヒメ)様です。』




香椎宮の裏にある古宮に行きました。
古宮には、塀と高い門に囲まれた場所に『棺懸けの椎(かんかけのしい)』という椎の木があります。



 棺懸けの椎とは、仲哀天皇の棺を立てかけたというご神木のことです。


 
⑦その椎の木を囲む赤い柵の外側に、槍を持った若い男神様がいらっしゃいました。




『9代開化天皇のお后であった高姫の父親の葛城垂見命(カツラギノタルミノミコト)様です。』




       天皇の系図(出典元:Wikipedia開化天皇)

 
棺懸けの椎の木から右手に長い小道が続いています。




その小道の突き当たりに開けた場所があり、真中に「仲哀天皇大本営跡の石碑」があります。





⑧その石碑の右隣りに男神様が現れ、続いてすぐに奥様と思われる女神様が現れました。




『思兼命と和歌姫の子のイキシヒホ命様と、かつて奇玉火之明尊の妻であった
 天道姫(アメノミチヒメ)様です。』



参拝を終えて、正門から香椎宮を出て帰ろうとしたのですが、、道路を渡ったとこにある
朽瀬(クチセ)神社に呼ばれている気がしてたので立寄りました。




⑨そこで見えた女神様です。




『⑦の葛城垂見命様の娘の高姫(またの名を乗ヘ比売:ワシヒメ)様です』

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