まちづくり
- 2011/06/30
- 22:17
家の作りやうは、夏をむねとすべし
冬は、いかなる所に も住まる
暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり
吉田兼好の徒然草より
まだ電気も、冷暖房もなかった時代、盆地の京都は、今より夏の暑さ・冬の厳しさが身にしみたことでしょう。冬の寒いのはいかようにもなるけれど、夏はどうしようもない、だから工夫して家を建てなければならない・・という意味だと思います。
今の家は、古来からのそういう伝統を受け継いでいるところもあるのでしょうが、
やはり、エアコンを入れることを前提に作られているように思います。
我が家は在来工法の木造家屋で、風通しがよく、窓を開ければなんとか夏も
凌げないことはないはずですが、問題は隣家とくっつきすぎていることです。
道路に面している南側以外の三方を、隣家と接していて、
一番接近しているところは50センチしか離れていません。
これだけ近いと、家の中の物音や話し声は、窓を開けると筒抜けとなります。
下町でもない限り、聞かれるのも聞くのも嬉しくない状況というわけです。
で、必然的に窓は必要最小限にしか開けなくなる。すると暑くて仕方ないので、
エアコンを入れる。いくら、家が風が抜けるように作ってあっても、これでは意味がありません。
家を一歩出ると、玄関のタイルのたたき、モルタルの階段、アルミの門扉、
ステンレスの郵便受け、アスファルトの道路、全てが熱で温まり、素手で触ると
火傷をしそうです。その上を通る風もだんだん熱せられて行きます。
風を冷やす川や池は埋め立てられていて、木漏れ日を作る木々は少ない。
コンクリートやガラス、金属と石と、アスファルトばかりの都心のオフィス街は
夏の午後、灼熱地獄となります。ゲリラ豪雨で冷やしてもらうしかなくなるのです。
徒然草では、夏の暑さを考えて家を作れと書いてありますが、
今、私は夏の暑さを考えて町を作れと言いたい。
家と家の間に、用水路や下水路があった頃、
家の周りに水田があった頃、
大地のどこもアスファルトに覆われていなかった頃、
どの家にもしっかりした庭木が植わっていた頃、
鎮守の森が町を見下ろしていた頃、
昭和40年までは、都会にさえあった景色です。
コンクリートやアスファルトで土地を覆い、丘の林をまるごと住宅地に変えるような
そんな町つくりはそろそろやめることを提案します。
できるだけ自然を壊さず、大地にも植物にも負担をかけない町を作り、国を作る。
その前提において全てを進めれば、人間はもっと幸福になれるのです。
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